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【史跡(群馬)】防空監視哨跡

どうも、Juraです😉


みなさん、

「防空監視哨(ぼうくうかんししょう)」

という言葉を知っていますか?


防空監視哨とは、
戦時中、遠くにある敵機を発見し、防衛司令官に報告するという重要な役割を行っていたものです。

上の写真のものが、みどり市内唯一の防空監視哨です。
市の指定重要文化財に指定されています。
こちらは平成7年(1995)12月26日に指定されました。

先程も言いましたが、
そもそも防空監視哨とは、戦時中敵を見つける役割を持っていました。
「防空」という名の通り、空を監視して守るものでした。

音で戦闘機や爆撃機等の区別をとったり、目で戦闘機の形をみて、それが何か判断していたようです。なので、聴覚や視覚に優れた方がこのような大役に任されたらしいですね。


ちなみに今の私はスマホのやりすぎで目が悪くなってしまったので、スマホの使い過ぎを頑張って辞めようという意思だけは持ってます。……意思だけは立派なのです、意志だけ……当分そんな重要な役割をこなせないですね、小さい頃はずっと視力よかったのに🙃

元々この防空監視哨は、地下式のコンクリート製の簡易集音壕(かんいしゅうおんごう)詰所からなっていましたが、現在はこの簡易集音壕のみ残されています。

この残った集音壕は、直径4mほどのコンクリート製で、上部は集音しやすいようにラッパ状に開いています。
また、集音壕の上には何本かの柱で建て茅葺きの上屋があったといわれています。

この防空監視哨の構造と人材で戦闘機を判別し、上層部へ報告していましたが、
当時群馬県内には、監視総本部を県庁に、防空監視隊本部を前橋・高崎・渋川にそれぞれ設置されており、ここ、みどり市花輪にある防空監視哨以外のエリアからの情報も頼りになっており、戦闘へ役立てていたようです。

また、みどり市に合併する前の「旧勢多郡東(あずま)村」には、防空監視を記載した日誌が1冊現存していて、これは花輪の防空監視哨の日誌という可能性も考えられます。

今は史跡として残っているだけで、使用する機会などもないので
どういう風に使っているのか、そもそもこれは何なのかなど、調べないと分からないようなものでしたが
このような身近すぎて知ろうとしないようなものたちも、歴史から知っていくと
昔どういう地域だったのか、どういう歴史を歩んできたのかなど、知れるいい機会になりますね。

いやぁ、勉強になります( ˘ω˘ )

今日紹介した「防空監視哨」の行き先はこちらから
防空監視哨跡 | 群馬県みどり市 (city.midori.gunma.jp)

ではでは、今日はここら辺で…
ばいばい👋

元記事(自分が作成したもの)はこちら
【史跡】防空監視哨跡 | みどり市地域おこし協力隊〈公式〉ブログ (ameblo.jp)

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